2001/9/19(wed)
●ついに半年も日記をつけずに、いよいよ出産予定日がきっかり1週間後に迫ってしまいました。4月に入ってから8月ぐらいまでは、週に3日ぐらいのペースで試写を観に出かけていたのに…。
本来なら、観て来た映画のことを一言でも書いていくべきだったのに…。
とにかく、ごめんなさい!!
●ついに今週の月曜から産休に入り、劇場との引継もとりあえずは終わり。
今後、2月末までは100%の育児休暇。それから4月までは赤ん坊の面倒をみながら徐々に復帰。4月にうまいこと3人目が保育園に入園できれば、完全復帰して、
また試写にでかけることができるようになります。
●現場の運営、産休中の作品選定は北中良枝劇場支配人に任せ、精算等経理、および企画
(今、映画講座の企画を検討中)関係は山口房子に任せます。
あとは何かあったら、シネモンドの社長である堀越さんに判断を仰ぐようにと連絡。
二人とも不安そうではあるけど、大丈夫! せっかくだから、たくさん自分達の企画をやってみてね。
●というわけで、今年いっぱいのラインナップをなんとかエイヤっと決め、
あとは上映するかどうか等のリストをじゃんじゃか作って劇場に送りました。
●産休、育休中のこの日記をどうするか…。
劇場のことを綴って欲しいと私は思っているのだが、北中支配人は育児日記でいいから、私に書けという。
そうはおっしゃいますけど、出産後の母親というのは(妊娠中もそうなんだけど)、
非常に動物に近くなっていて、物事を集中して考えたり、文章を書いたり、
ということが困難になるのよね(私だけかもしれないけど、私はそうなのです)。
何より自分が赤ん坊の食料になっているので
(母乳をティースプーン1杯分出すのに、なんと母親の血液が1.5リットル必要なんだよ!ひぇ〜!)体力を非常に消耗するのです。
だから、いずれにしても産後すぐにパソコンに向かうのは無理。
育児日記?についてはやる気が出ればそのうちに、ってことで、
ここはやっぱり現場の日々のことを綴ってもらおうと思います!
●長らく日記をさぼったおわびに、今現在上映が決定している作品を羅列します。
一応10月以降、年内上映予定作品:
ナンナーク/テルミン/クレーヴの奥方/アードマン・コレクション/ゴーストワールド/シリアル・ラヴァー/ジャン・コクトー特集(美女と野獣、オルフェ、悲恋)/チェブラーシカ/けものがれ、俺らの猿と/真心/Ocm4/ベンゴ/ジターノ/ラッチョ・ドローム/焼け石に水/ダンス・オブ・ダスト/キシュ島の物語/ロンドン・ドッグス/コミック・ストリップ・ヒーロー/魔王/エレクトリック・ドラゴン80000V/こころの湯/カラビニエ/愛のエチュード/眺めのいい部屋/UNCHAIN/ビヨンド・ザ・マット/ぼくと遊ぼう/タッチ&イマジネーション(シュワンクマイエル特集)
●あとは上映時期は未定だけれど、上映することは決定しているものです:
ユスターシュ特集/ベレジーナ/RUSH!/不思議惑星キン・ザ・ザ/ロシアン・ブラザー/ヴァージン・ハンド/メメント/フェリックスとローラ/イースト・ウェスト/オテサ−ネク/シビラの悪戯/或る小説家の妻/金色の嘘/空の穴/UFO少年アブドラジャン/ショコキ!/みすゞ/ビューティフル!/青い夢の女/夜風の匂い/素敵な歌と舟はゆく/殺し屋1/プラットホーム/がんばれ、リアム/リメンバー・ミー/血の記憶/青い春
(上記作品はあくまでも現時点でのものなので、諸般の事情で上映できなくなることもあり得ますので、
ご了承下さい。)
●掲示板は毎日見ています。お客様からの声が聞けるということは、金沢を離れてみてつくづく大事だな、と思います。しばらく御無沙汰致しますが、今後ともシネモンドおよび、スタッフをよろしく御声援ください。
●それでは、元気な赤ん坊を産みまぁす!さらばじゃ!
2001/2/28(wed)
●朝、息子を保育園に送り、洗濯、掃除を大急ぎですませ、今里さん竹田さん、娘を車に乗せて世田谷の母の所へ。娘を預けて3人でユーロスペースへ。副支配人の遠藤君によろしくと挨拶をして(遠藤君は私がユーロスペースにいるときから映写でいたのですが、河合我門似の、といっても我門よりかっこいい男の子なのです。あ、でももう男の子じゃないな、一児の父だし)、急いでユーロスペースの事務所に行き掘越さんにも挨拶。そして重大報告をする。
●「すんませ〜ん、3人目が9月の末に生まれることになりました!」
●堀越さんは「おいおい、どうするんだよー」と笑ってくれたけど、本当に御迷惑をおかけします。シネモンドのスタッフもまたもや大変な目にあわせることになるのに、「子供が多いっていいですよね」って言ってくれた。
●言うだけ言ってあわてて銀座での試写に向かう。岩波ホールで4月から公開される『山の郵便配達』という中国映画。父と息子の感動的な話しで、何よりも目に痛いほどの緑が美しく、ゆったりとした気持ちになる映画だった。上映させてもらおう。
2001/2/27(tue)
●夜、9時頃、シネモンドのスタッフの竹田さんがうちに到着。10時には同じく今里さんが到着。そうなのです、シネモンドの映写スタッフの上野君、竹田さん、今里さんがユーロスペースに映写の研修にやってきたのです。上野君は27日の深夜バスで来て、28日の深夜バスで帰るという強行さなのです。女の子二人はうちに宿泊。子供達は大喜びで「ミチヨタン! イマザッチ!」となついている。
2001/2/13(tue)
●今日は旦那が会社を休んでくれたので、朝の保育園の送りも夕方の迎えもお願いして、私は3時からの試写に出かけた。どうしてもプリントで観たいと思っていた河瀬直美監督の『火垂』。最終試写だったせいか、知っている顔はまったくいなかった。上映することは決める。
2001/2/10(sat)
●朝から妹と『ユリイカ』を観に新宿へ。早めについて中村屋で純インドカリーを食べる。
お腹を充分ふくらませて、いざ4時間の長丁場へ。いやぁ、よかった。すごくよかった。4時間はまったく長く感じません。食事のシーンがとても印象的で、毎日毎日、御飯を炊いて、味噌汁をつくって家族が揃って食べるということが、ちゃんと生きていくためにとても大事なことなんだって納得してしまいました。
とても見ごたえがあります。シネモンドでの上映をぜひぜひ楽しみにしてください。
2001/2/8(wed)
●アミューズ・ピクチャ−ズの野口さんが何とうちまで営業に来てくれた。
以前から「せっかく東京に来たのだから、早くお会いしましょう」と言ってくれていたのだけど、まさか本当にうちまで来てくれるとは思わなんだ。で、手料理をふるまい、うちの沚ホ半の娘は最初、固まり、そのうち慣れて歌も歌ってました。彼女が持って来てくれたのは『アメリカン・サイコ』のビデオや資料等々。彼女が帰った後、さっそく観る。
●80年代を舞台にしたバブリーな男の猟奇殺人もの。80年代と言えば、私たち世代の青春時代だ。もう、80年代が映画になる時になったのねぇ、と何だか考えてしまう。でもそう考えれば今は2001年、流行はだいたい20年タ−ムで繰り返されてるから、おかしくはないわけだ。
2001/2/6(tue)
●ケイブルホーグから届いていた『深紅の愛』のビデオをやっと観る。これは『ハネムーン・キラーズ』のリメイクで、これまたとっても濃くって凄い愛の形でしたねぇ。いやぁ、私はどちらも好きです。はい。それで、ケイブルホーグの島さんに連絡して、『ハネムーン〜』もまだやってなかったし、どこか空いているところでイブニング&レイトで2本続けてやろうかなぁ、とこちらが言ったら、「いやぁ、この2本続けて観たい人いるかなぁ、濃すぎて1本で疲れるんじゃない?!」だって。確かに。5月ぐらいかなぁ、上映は。
2001/2/5(mon)
●今、恵比寿ガーデンシネマで上映中の『ぼくの国、パパの国』をビデオで見る。子供たちが二人とも保育園に入れていたら、劇場に見に行けるのになぁ。なかなかかわいく、ウェルメイドな映画。配給元から送られてきていた雑誌記事に「マンチェスター版、寺内貫太郎一家」と書いてあって、おお、まさに!とその見事なネーミングに感心する。でも同時に”寺内貫太郎一家”って今の20代って知らないのかも?と不安になる。
2001/2/3(sat)
●朝から子供たちを旦那に任せて渋谷へ。この前、見そびれた『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見る。
●そうだ! 見そびれた時の事をここに記しておきましょう。
●あれは1月7日のこと。金沢からMROの長田さんが私の取材に来てくださり、渋谷のシネアミューズ併設のカフェで取材をしたあとのことだ。母と妹と待ち合わせて『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見にいくも、もしかすると立ち見、ということで老齢でその上ふらふらとしている母には無理、と判断し、即座にシネマライズの『キャラバン』に変更。妹に母を見ていてもらい、私は近くのサンドイッチ屋で3人分をオーダー、延々と待たされ、何度も妹の携帯を鳴らすが返事なし。20分ほど待たされて上映10分前に劇場に入るとなんと母がロビーの椅子にへたりこんでいる。「どうしたの?」怒ったような顔で妹が「ママがぶっ倒れた!今救急車呼んだとこ」ええええ?!
●心配そうにロン毛をなびかせて飛んできたのは副支配人の萩原くん。私の顔を見て二重に驚いている「どうもお久しぶりです、土肥です。これ、私の母なんです。なんだかお騒がせしてすみません」
●血圧が68まで下がってしまった母はそれでも「映画見ようよ」と目を開けることもできないくせに言っている。それに付き添う娘二人は「ちょっとこのまま逝っちゃったらどうする?」「娘二人にはさまれて、ヒマラヤの絶景を見ながら逝けるなら本望かもよ」(母は山岳部である)などと不謹慎なことを言っていた。
●渋谷のど真ん中でスナッチャー(だっけ?)にベルトで留められて、救急車に乗せられる母。ライズだって救急車来たのは初めてだったんじゃないかなぁ。
●東大病院からの帰り、東京に今年初めての雪が降った。その後、母は医者に叱られたにも関わらず、結局その時にもらった招待券で『キャラバン』をちゃっかり友人と見てきたそうだ。
●というわけで、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見逃していたのでした。ものすご〜く期待していった私にとって、この映画はどうしてもストーリーが解せない!ために、その理不尽さに怒りににたものすら感じた。が、映画としてこの映画が物凄いパワーを持っていることは確かで、だからそれだけにやるせなく、涙はボロボロ出たものの、どうしても納得できませんでした。
●それから、お騒がせの母と落ち合い、ル・シネマに『ザ・カップ』を見に行く。こちらはお仕事で、金沢上映するか否かをきめるため。とってもよかった。小僧たちが(本当の小僧たちが演じている)凄く初々しくて可愛かったし、伸び伸びしていて気持ちの良い映画だった。4月上旬上映予定です。
2001/2/2(fri)
●『ベニスで恋して』のビデオを見る。昨日見た『ファストフード・ファストウーマン』にも通じる、大人の恋物語であり、どちらもヒロインがもう若くはない(『FFFW』は35歳、『ベニス〜』の方は40歳は越えている)けれど、のんびりほんわかたおやかで何とも魅力的な女性。どちらもぜひシネモンドで上映したい。
2001/2/1(thu)
●掘越社長が金沢に行ってくれている。経営面は全部お願いしてしまっているわけで、本当に有り難うございます。
●夕方、子供たちを母の所に預け、キネカ大森でイラン映画についてのトークショウに出る。トークの相手は『おかえり』の篠崎誠監督。一緒にテヘラン映画祭にも行ったし、ロカルノにも行った間柄?! そうそう、この話を持ってきてくれた東京テアトルの平野さんは、元シネセゾン渋谷の支配人だった人です。
●トークは4月に公開される『テヘラン悪ガキ日記』についてだったのだが、トーク後に上映ということで、内容にはほとんど触れず、夏に公開されるジャリリの『ダンス・オブ・ダスト』の話しや、イラン映画全般の話をなんだか脈絡もなく話してしまいました。ちなみに篠崎監督は当日の夕方ロッテルダム映画祭から帰国したばかりで(新作『忘れられぬ人々』が上映された)愛息子の顔だけ見て、劇場に直行してくれたのでした。
●『忘れられぬ人々』も東京公開決定したらしいので、金沢でも上映しましょう。しのやんにまたしゃべってもらいましょう。
2001/1/22(mon)
●息子の初登園。これまでの保育園とは勝手が違うので、どうなることやら。
●初日なので、昼寝前に帰宅。それにしてもこれまでにこんなに泥んこになって来たことはない!っていうくらい真っ黒、泥んこ。家につくなり、そのまま風呂場に直行。
●子供たちを母に預けて、車でソニーPCLの試写室へ。アボルファズル・ジャリリの『ダンス・オブ・ダスト』を見る。このイラン映画はだいぶ前にロカルノ映画祭のディレクターであるマルコから傑作だ!と聞かされていて、とっても見たかった映画。去年のうちに配給元のビターズエンドからビデオを借りていながら、冒頭をチラッとみて「これは絶対にプリントでみないとダメだ」と観ずにいたもの。いやぁ、よかったですよー。風の吹きすさぶ音がずっと耳に残る、厳しく切なく美しい映画でした。
2001/1/18thu
●無認可保育園(子供の部屋)に二人を連れて遊びに行く。小さい子供達までも何でも自分ででき、それも先生が何何しなさい、と一言もいわないのに、ショックをうける。まったく干渉しないでいると、子供達同士で問題を解決しようとし、また、できない子はできる子が助けてるようになる。先に先に手を出してしまうのは子供の「自分で考える」力を奪ってしまうのだ、と痛感。園長と話して(子供達は「えんちょー!」といつも呼んでいる)息子だけ月曜から預かってもらうことになる。よかった。本当によかった。これでなんとか、仕事がまともにできるようになるだろう。
●息子は帰ってきても興奮覚めやらず、まったく昼寝をしない。こちらが仕事をしていると邪魔しに来る。これもあと1日の辛抱か。
2001/1/17wed
●2/1にキネカ大森でイラン映画について篠崎誠監督(『おかえり』『忘れられぬ人々』)とトークショウをすることになっていてその『テヘラン悪ガキ日記』を試写で見に行く。児童映画祭としては一番権威のあるベルリンキンダーフェスティバルでグランプリを受賞し、その他、あっちこっちの児童映画祭でグランプリをとっている。ベルリンの児童映画祭は子供達が審査員だから、子供達が気に入ったということなのだろう。原題は「母性」ときいて、そうだろうそうだろう、と納得。監督はカマル・タブリズィーで福岡映画祭で『夢がほんとに』が上映された監督だ。ベタな戦争コメディーなのだが、よくも検閲の厳しいイランで戦争コメディーなんてできたなぁと感心したのを覚えている。
●試写のあとでテアトル興業の平野さんと篠崎監督(しのやん、と呼んでいます、いつもは)と近くの喫茶店で打ち合わせ。しのやんの8ヵ月になる赤ちゃんの写真を見せてもらったり、育児の悩みを話したりって、あれ?! ちゃんと打合せもしました。はい。30分ぐらいで切り上げ、チビ二人を預かってもらっている母のところへ急ぐ。あいかわらず二人は大騒ぎだったようで母はぐったりしている。高齢のうえ、病気を幾つも抱えている母にいつまでも甘えていられない、と思う。
2001/1/16tue
●近くにある認可の公立保育園に体験保育に行く。金沢は雪がすごいというのに、南側に大きくとられた部屋には隅々まで太陽の光が溢れている。息子はさっさと他の子供達と遊び始めた。彼はとても社交的だから、そういう面ではあまり心配がない。娘も最初は恥ずかしがっていたが、そのうち私から離れて遊び出した。お昼御飯まで食べて、体験保育はおしまい。息子は楽しそうにしていたから、昨日の無認可保育園よりもこっちがいいと言うだろうと思っていた。帰り道に「きのうの凧上げした保育園と、さっきの保育園とどっちがよかった?」と聞くと「凧上げしたほいくえん!」と即答。へええ。
●二人を昼寝させ、メールへの返事や3月〜4月のプログラムを考える。『ヤンヤン〜』のビデオを1時間ほど見たところで二人が起きてきて、タイムアップ。
2001/1/15mon
●今日は旦那の会社が休みだったので、上の息子を医者(予防接種)と近くの無認可保育園に体験保育させてもらいに行ってもらう。その間にこちらは下の娘を連れて区役所に保育園の申請をしに行く。
●年が明けてたった1週間しか仕事をしていないのにもう、あっぷあっぷしている。なんとか子供達が保育園に入れないと本当に親子両方にとってよくない。そこのところを必死に訴える。が、むずかしいですねぇ、という返事ばかり。もう4月までは殆ど無理らしく、4月以降も二人同じ保育園というのは危ないかもしれないと言われた。
●お昼に息子たちがくたくたになって帰ってくる。そこの無認可保育園は、とっても保育方針が素晴しく、経済的なことさえなければぜひとも入れたいと思ったところだ。今日は自分達で割り箸とビニール袋で作った凧を本門寺公園であげたりしたそうだ。二人で月8万5千円。認可保育園なら約3万円。可もなく不可もない認可保育園にふたり別々に入れるか、魅力的で高い無認可保育園に二人一緒にいれるか、悩む所だ。でも窮状を無認可保育園の園長に話した所、息子だけなら、なんとかしようと言ってくれたらしい。
●子供達が昼寝をした時に『ヤンヤン夏の想い出』に出演しているイッセ−尾形のインタビュービデオを見る。本編も見てないのにメイキングオブみたいなシーンもあって、あちゃー。でもすごくよさそう。私はイッセ−さんが金沢にいらっしゃるとき、おそらく行けないので、悔しいよ〜。
2001/1/10wed
●母にチビ二人をお願いして、ユーロスペースへ。11時到着。古巣(とはいっても私が辞めてすぐに事務所がすぐ近くとは言え引越しになったので、あまり懐かしさはない)の顔ぶれもだいぶ変わって、私がいたころのメンバーは(メンバーっていわないか)社長の堀越さんと映画館の支配人と地方配給業務をしている北條さん、そしてアートフィルム関係を担当している清宮さん(この日は会えなかった)と一緒に宣伝をやっていた大竹さんのみ。堀越さんと北條さんとそれぞれ打合せをすませ、大竹さんが立ち寄り出社してくるのを待つ間、机を借りて仕事。
●親友のシネマライズの富安民ちゃんに電話をして、北條、大竹、富安、私で昼食を食べに行く。久々のつばめグリルでハンバーグランチ。4人とも殆ど同じ年で、昼食の話題は親が老いてきた、という話し。そういう年になったのね、てか。
●もう一度ユーロスペースに戻って少し仕事を済ませて、新橋のTCCへ『ふたりの人魚』の試写を見に行く。なんと4人のみ。なのに、私をのぞく3人のうち一人は川本三郎さん、そしてもう一人は字幕翻訳の寺尾次郎さん、という私が大変大変お世話になったお二人で、その上、試写が終わると出迎えてくれたのはこの映画の宣伝をしている、元同僚、現「楽舎」代表の和気道子さんだったのでした。そういうわけで、母にはごめんなさいと心で謝り、誘われるままにお茶しにいきました。6時近くに迎えに行った時、母はもうふらふら、「今度から3時間か4時間程度にしてちょうだい」と宣告されました。本当にありがとうございました。
●『ふたりの人魚』おそらくシネモンドでも上映します。なかなかよかった。監督はロウ・イエ、去年のロッテルダム国際映画祭や先日の TOKYO FILMeXでもグランプリを受賞した。
2000/12月まとめてあれこれ
●この日記は1月過ぎてから書いているわけなので、どうかご了承ください。
●とにかく、引越しまでにお会いできる人に会わなければ!ということで、「オ
フィシャル・サプライヤー」のお願いに奔走しました。「福光屋」さんから始ま
り、「キリンビバレッジ」「キリンビール」「野村證券」「石川コンピュータ・
センター」「米沢電気工事株式会社」「YAMACHIKU」「金沢クラブ」「アドマッ
ク」「エフエム石川」「北陸大学」「金沢工業大学」、そして”まちづくり”の
水野雅男さん、など本当に短い期間にいろんな会社のトップの方々とお会いして
お話させていただきました。とても興味深いお話を伺うこともできて、とても勉
強になりました。
●スタッフたちを家に呼んで「送別会」。一番年上のスタッフでさえ、9歳も違
うわけだけれど、本当によく頑張ってくれています。私が東京に行くことをとて
もとても不安がっていて「だぁいじょーぶだよ!」なんて言っていると「土肥さ
んが不安がっていないのが、一番不安です!」と言われちまった。
本当にこれまでどうもありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします。ど
んどんオリジナル企画考えてください。
●16日は子供たちの保育園で「クリスマス発表会」。上の子供を預けてからも
う2年が経ち、どのクラスの子の名前もほとんど知っているようになっている。
先生も子供もきっと楽しく、少し緊張して発表ができたようでとてもよかった。
18日にも午前中のみ登園する予定だったのを、この日で最後にすることにす
る。お世話になった先生たちが目を真っ赤にはらしている。子供達はみんなとお
別れする、ということをどれだけ理解しているのかわからないが、こんなに子供
達を大切に育ててくださり、愛情をかけてくださった先生方に恵まれて私たちは
幸せだったと思う。本当にありがとうございました。そして仲良くしてくれたお
友達たち、お母さん方にも感謝しています。
●いよいよ引越し当日。なのに、まだ部屋の隅で荷造りが終わらない! 徹夜明
け。引越しについては前日丸一日しか荷造りする時間をとれなかったので、いた
しかたないか。。。子供友だちが11時頃来てくれる。皆にお別れ。一番近所
で、下の娘などしょっちゅう預けていた景子さんが顔をくしゃっとさせて泣きそ
うになった顔を見て、急に鼻の奥がツンとして、涙が出てしまった。
●5年間。金沢という街に住んで、二人の子供を産んで、シネモンドもオープン
した。充実した5年間だったし、何よりも出会いに恵まれた5年間だった。子供
を通してできた友だちも、シネモンドのスタッフも…。
●東京から、これからも映画館で見たい映画を届けます。乞う御期待!!
2000/12/11
●子供を通してできた友人たちが「お別れ会」をしてくれた。朝一つオフィシャル・サプライヤーのお願いに出かけ、その足で友人の家へ。前夜に一人一人に手紙を書いた。この友人たちに出会えたお陰で私の金沢暮らしは明るくなった。楽しくなった。年齢的にはひと回り下から一番近いママでも5つは下なはず。なのにとても気が会った。みんなが初めての子供を抱えて不安だらけだったから、お互いの存在をとても必要としていたしとても大切に思ったのでしょう。
●これからは今までのように、土曜日とかに会って子供達を遊ばせたりはできなくなるけれど、この出会いをなくしてしまわないようにしなければと心に刻む。
2000/12/9
●ついにリニューアル・オープン。改装中、何度も劇場を見に行く。床の段が組まれ、次の日には綺麗に絨毯が敷き詰められ、真っ赤な椅子が据え付けられていった。どきどきして椅子に座る。適度な堅さがあって座り心地のいい椅子だ。
●東京から旦那が戻ってきてくれた。おかげで朝からずっと劇場に出る。5時頃、おすぎさんと一緒に金沢入りしているはずの掘越さんとやっと連絡がとれる。おすぎさんのトークショウは夕方6時から。
2000/11/30〜
●旦那の引越し。前日ほとんど徹夜で荷造りをする。基本的には旦那のものと、私の本などこちらの生活必需品でないものを今回持っていく。旦那は12/1から東京での勤務が始まる。2回目の引越しは12月18日。それまでの2週間強は一人で子供達の面倒を見なければならないということ。家事を大分サポートしてくれていた分、彼の不在は痛い。何より、子供達に対してイライラしてしまわないかと心配。旦那がいれば、どちらかが子供に対してイライラして叱った時、もう片方がとりなす役目を果たしてきたから。
●毎晩、子供を寝かしつけては一緒にコトンと寝てしまい、11時半頃起き出して、朝方4時ぐらいまでかかって仕事をする。これはほとんどが原稿書きの仕事。一つはキアロスタミのDVDの第2弾の解説。第1弾ができあがってとても綺麗なボックスが送られてきた。こういう形になる仕事はやっぱりいいなぁ。(DVDは見られないので、まだジャケットを眺めているだけなんだけど)第2弾は「そして人生はつづく」「オリーブの林をぬけて」「桜桃の味」「風が吹くまま」の入ったボックス。それぞれの解説、チャプター分けとその見出し、ジャケット解説とコピー、ボックスの解説。
●もう一つは北陸中日新聞「紙つぶて」の原稿。毎週火曜日の夕刊に載るので、締切は毎週土曜日。土曜の夜中にあわてて起き出して朝までかかって書き上げたこともあった。編集委員の小倉さんに励まされながら、なんとか、12月26日の最終回まで書き続けることができた。毎週、800字の原稿を書く、ということは私にとってとても有意義なことでした。そんな機会を与えてもらって本当に有難うございました。
2000/11/22
●この日もオフィシャル・サプライヤーの件で、朝から2件ほどおねがいにまわる。3時にアポをとっていた「ジュエリー恵蔵」の社長を訪ねる。企画の主旨を説明し終わると、社長から「これからは、映画も音楽のように、インターネットで見たい映画を検索して、ダウンロードすれば各家庭で見られるようになる。それなのに、交通費や駐車料金を払って、入場料金を払ってまでなぜ映画館に行かなければいけないのか?」と問いただされた。「いったい映画館のraison d'etre,存在理由は何なの?」と。つまり、映画館はただ映画を見せるというだけではやっていけなくなる、どんな付加価値をつけるつもりなのか? と聞かれた。
●映画館の役割が大きく変わっていくだろうことは分かっていたし、考えてもいたつもりだったが、予期しない場所での根本的な問いに、私は答えることができなかった。「映画はなくならない、でも映画館はなくなるでしょ。」と言われ、果たして私は何のために映画館を作って、これまでの2年間上映活動をしてきたのか、とぼおっと考えていた。
●しかし、シネモンドができなければよかった理由は見当たらないが、会員が1300人になっている事実をみれば、シネモンドができて喜んでくれている人がいることは確かなんだ。
●このことについてはずうっと考えることになる。そういう意味で恵蔵の社長には本当に感謝しています。とても忙しい人が初対面の私に2時間も費やして話をしてくださった。これをきっかけに今後のシネモンドの行方やあるべき姿をより深く考えるようになりました。
●そんなわけで、保育園のお迎えに急ぎながらもぼおっとしていたら、なんと!!! 保育園の前で置き引きにあってしまった! 鞄をまるごとと携帯電話。ガーン! 会社の通帳とカード、それに角印、個人のカード、財布、手帳、あああ。こんな忙しい時に、それも1ヵ月後には引越すというのに。そして、警察は来たものの、警察と言う所は犯人を探そうとはするが、私にとって一番大事な鞄を探すことはまったくしてくれず、事情聴取とかしているうちに真っ暗になり、結局他の園児のお母さんや、園の先生方が一緒にあちらこちらを探してくださいました。でも見つからず。ショック。
●携帯から、財布、通帳、角印すべて新たに作り直し。でも何よりも痛かったのは、気に入っていた鞄と、手帳を盗られたこと。
2000/11/20 mon
●今日はオフィシャル・サプライヤーのお願いに「福光屋」の福光社長に会いに行く。福光社長と初めてお会いしたのは、97年に私が金沢で初めて活動した、「イラン映画祭・金沢上映のときだった。スポンサーのお願いに伺い、とにかく夢中でこれまでの経緯などをお話したら、「わかりました」と快諾してくださったうえ、他にもスポンサーになってくれそうな方々を紹介してくださったのでした。その時に、「私はよそ者だから、あまりあれこれと動き回ると嫌がられるのではないですか?」というような話をしたら、「よそ者だからこそ、できることがあるんです。どんどんかきまわしてごらんなさい」とおっしゃって頂き、その一言で私はポンと背中を押された気がしたのです。
●そんな恩人の福光社長にこれまで不義理をしてたのに、また協賛のお願いをしに行ったのでした。そして、オフィシャル・サプライヤー第1号になっていただくことができました。
本当に有難うございました。
●そのあと、「山弦」ライブ準備で忙しい「もっきりや」に行き、平賀さんと少し話をする。「もっきりや」もオフィシャル・サプライヤーになっていただけることに! 平賀さんは私の金沢での大恩人だから、すごく光栄です。
●それから、福光社長に御紹介いただいた、ナカダ株式会社の中田社長とお会いする。つい数日前はフィレンツェにいらしたという超多忙な方で、金沢でいきなりその日に会えるなんてまさにラッキーでした。
●保育園に6時に遅いお迎えに行ったら、園でおにぎりを食べていた息子に「いつも遅い方が、おにぎり食べれるからいいよ」と言われる。あらま。
2000/11/17、18 fri,sat
●17、18日と群馬の高崎で行われる「フィルム上映ネットワーク会議2000 イン たかさき」にスタッフの山口さんと参加。これは全国でミニシアターや映画祭といった形で上映活動をしている団体、個人のネットワークを作ろう、と始まったもの。これまでも毎回、案内をもらい、行きたいと思いながら、まだ子供達が小さくて行けなかった。今度こそは、と旦那に子供の面倒を頼み、1泊2日で出かけることに。
●この会議については11月28日に北陸中日新聞の「紙つぶて」に書いたので、それをここに載せておきます。
●<映画上映ネットワーク会議>
○先日、高崎で開催された、今年で5回目となる「映画上映ネットワーク会議」に初めて出席してきた。今年のテーマは“地域の活性化、映画の活性化”。参加者の顔ぶれは、市民の上映団体から、国際映画祭、配給会社、映画館、文化庁、通産省、文部省の映画関連の関係者まで、多岐に渡っていた。
○会議は2日間に渡り、1日目は基調講演とパネルディスカッション、2日目は4つの分科会が一斉に開かれた。
○“地域文化の活性化〜行政と民間団体の連携”と題されたパネルディスカッションの第1部では、宝塚市にある日本初の公設民営映画館「シネピピア」の事例をもとに「地域の活性化」に映画がどのように関わることができるかが討論され、第2部では、“映画の活性化〜映画文化振興法(制度)を考える”と題し、映画文化の振興のために必要な制度、法律、組織とはどういうものなのか、意見がとびかった。
○特に印象深かったのが、宝塚の「シネピピア」。都市の再開発事業や空洞化現象対策として、自治体が文化施設を建設し、運営を民間団体に委ねるということは全国的にも増えているらしく、宝塚市では、震災復興後のまちづくりの一環として建設された「ピピアめふ」の中に映画館「シネピピア」をつくったのである。
○映画館は非常時には避難場所としての設備があり、同じ建物内にはダンスなどのできる多目的なホールやパーティールーム、本格的キッチンを設備した食工房、カフェ、市役所の出張所、屋上庭園に茶室まである。そのうえ、常設の保育ルームがあり、映画やセミナー、講演会、カルチャースクール、イベントなどの参加時は有料で子供を預かってもらえる。
○まさに市民のニーズに応えた施設で、夢のような話だ。以前「市営ミニシアター」を作って欲しいと市に企画書を出したことがあったが、こんな形で実現している所もあるのだと羨ましくもあり、まだ希望を捨てるべきではないのかと思い直したりしている。 |