〈かいせつ〉

寂しい幸福を思う、その至福――。
めぐるとき、儚い恋ごころ、濃密な不安…。
金沢に立つ徳田秋聲のゆるやかな記憶。

 故郷であるにもかかわらず、まるでそこに流れついたかのような風情のひとりの男。やがて男はそれが町の魅力なのか、女の謎なのかわからぬままに、流れの中にするりと取り込まれていく。男の微かな叙情と密やかな思い。そしてその町に似て漂うような、それでいて透徹なまでの女の視線。小説家・徳田秋聲の、あいまいで、たゆとうような記憶が、金沢の町中をまるで自身のように漂流していく。

 『秋聲旅日記』は、「挿話」「籠の小鳥」「町の踊り場」「旅日記」の四作品を基に、秋聲自身の物語として語られる。時代背景の違う作品を一つの物語として誕生させるにあたり、様々な時代を幾重にも重ねており、新旧が調和している街“金沢”で撮影されることによって秋聲文学の持つ深い味わいが見事に映し出されている。

 監督は、『EUREKA』(00)で、第53回カンヌ映画祭国際批評家連盟賞とエキュメニック賞の2冠に輝き、名実ともに現在の日本を代表する若手映画監督の一人となった青山真治。青山はさらに自ら書き下ろした小説「ユリイカ」で、第18回三島由紀夫文学賞を受賞し、小説家としてもその突出した力量が高く評価されている。その後、長編劇映画デビュー作『Helpless』(96)、今秋、公開される『月の砂漠』(01)が、それぞれ「Helpless」、「わがとうそう」という題名で新たに小説として書き下ろされ、文芸誌に発表されたのは周知の通りである。こうした一連の試みは、青山真治が、映画と文学というふたつの表現領域の相関を、常に深いレベルで探求し、批評的な視線で問い続けていることの証しといえよう。そして、今回、彼が果敢にチャレンジしたのが、金沢出身の作家、徳田秋聲の世界をモチーフに映像化した『秋聲旅日記』である。 徳田秋聲の小説はこれまでにもたびたび映画化されているが、代表的な作品としては、『縮図』(53・新藤兼人監督 )、『あらくれ』(57・成瀬巳喜男監督)、『爛』(62・増村保造監督)などが挙げられる。なかでは、やはり徳田秋聲に深く傾倒していた女性映画の名匠・ 成瀬監督の『あらくれ』が一頭地を抜いている。<自分の力で自分の運命を切りひらいてゆくたくましい女性を描きたい>という監督の要望に、名コンビの高峰秀子がみごとに応えていた。これまで、どちらかといえば男性を中心としたドラマを撮ってきた青山真治監督も、今回、「女を書いては神様」(和田芳恵)と言われる秋聲文学の燻し銀のようなエロティシズムの世界と出会うことで、大きな変容を遂げたといえよう。

 出演は、徳田秋聲に嶋田久作、そして秋聲が淡い恋心を寄せるお絹にとよた真帆。お絹と共に宿を切り盛りするおひろに西條三恵が扮している。

 物語では様々な金沢が見隠れする。ひがし茶屋街では、お絹が踊る「鶴亀」を、現役で活躍する芸妓が伴奏し、秋聲をもてなしており、今尚語られるお茶屋文化の艶やかさを鮮明に映し出している。そして原作ではお絹を芝居に誘うシーンが、本作ではジャズに誘うシーンへと変更されている。そこでは日本のジャズ界で最も活躍するケイコ・リーが、ジャズ喫茶‘もっきりや’においてビリー・ホリディの絶唱で知られる名曲「Youユve Changed」を歌い、物語をクライマックスへと導く。

 なお本作は、竪町商店街振興組合と金沢の映画館シネモンドが企画した映画製作ワークショップの一環から生まれたものである。